人間賛歌ブログ

映画、音楽、仕事、食べ物、、自分が取り込んだもので自分がどうやって成長していくかの記録です。

シン・ゴジラを見た

シン・ゴジラを見た(ネタバレありです)
 
シン・ゴジラの予告編を見た時にこれは見に行こうと思っていた。
ゴジラ=街を壊す怪獣で、口からレーザーっぽいなにかを吐くもの程度の知識しかないけど、シン・ゴジラは絶対に見に行こうと思っていた。
予告編は、ゴジラらしきなにかから逃げ惑うひとたちを手ブレカメラで臨場感と緊張感いっぱいに表現していて、本編はやっぱりゴジラが街をメチャクチャぶち壊すんだろうとワクワクした。いわゆるパニックアクションジャンルを思い浮かべていたんだと思う。
庵野監督のエヴァ作品は見たことなくて(使徒とかシンジ君とかちょっとキーワードがわかる程度でストーリーはわからない)、監督が庵野秀明だからという色眼鏡はなかった。
 
そういう心づもりだったから見終わったに、物足りなさを感じた。
物語序盤、東京湾沖に浮かぶ乗組員のものだと思わる靴だけが残されたボートは、パニックアクション映画のはじまりとしては最高のスタートだと思ったし、官僚やお役所仕事の滑稽さを描いたシーンは、黒澤明の「生きる」にどこか通じるものがあったし、そこから色々人間ドラマがはじまるのかなと思ったりもした。

 
ただ話が進むにつれて、シン・ゴジラはパニックアクション映画ではないんじゃないかと思い始めた。ゴジラが再び日本に上陸し、それを迎撃せんとする自衛隊と市街地で自衛隊銃火器を使用したことがないという前例のため攻撃開始の合図を渋る首相。このシン・ゴジラという映画は、日本が未曾有の大災害に遭遇したときに日本の中枢がどう動くか(どう動いたか)というドキュメンタリーなんだと思った。
監督の庵野秀明さんはシン・ゴジラを制作するにあたり「もし、ゴジラが日本を攻めてきたらどうしますか?」と自衛隊に質問したそうだ。
 
庵野秀明「もし本当に日本にゴジラ出たらどうします?教えてください」自衛隊「ええ…」政界「マジすか…」

 

未曾有の大災害であるゴジラ、その虚構を表現するためにその他は徹底的にリアルを追求した。だから、序盤の海底トンネルから避難する人を映したカメラは、避難する人自身の自撮りだったり、東京湾沖で起こった水上爆発?を警察の制止を無視して、一般人がスマホで撮影してるシーンを撮影したり、官僚たちを演じる役者の演技には通常の邦画には見られない演技だったり、無駄な人間ドラマは表現せず、とにかくリアルを追求していた。もちろん、心打たれるようなかっこいいセリフは、この映画にはない。(こういった大災害が発生したときにされるような会話ばかりだった)
 
物語後半のゴジラ凍結作戦は、物語序盤中盤に見せたリアリティ程のリアルさは見られなかった。物語後半だけは、よくできた話だなあ、それこそ邦画のお約束展開感が否めなかった。それは、日本が未曾有の大災害に対して、未だに明確な正解を見いだせてないからではないのか。
阪神淡路大震災が発生した時、政府の対応の遅れた理由として当時の首相である村山富市「なにぶんにも初めてのことですので」と答弁したという。
3.11では、危機意識の欠如、現場を無視した施策、意思決定までの遅さ、など様々な問題が浮き彫りになった。
東日本大震災で浮き彫りになった我々日本人の思考の問題点

 

映画は、「これから人類はゴジラと共存していかなくてはならない」というセリフとゴジラの尻尾を映して締められる。
災害と共存するとは、つまり災害がまたいつ発生してもいいように準備をしておく、または人類が人智を超えて災害をコントロールできるようになるということだろうか。
自分は未確認だったけれど、ラストのゴジラの尻尾には人を形どったなにかが蠢いていたとのこと。ゴジラがさらなる進化を経て、ゴジラが新人類となり災害を超越するのか、庵野監督がどんな妄想してるか想像するの楽しいです。